数珠丸恒次
2020年 1月 14日 09:00
数珠丸(じゅずまる)は、鎌倉時代に作られたとされる日本刀(太刀)である。 日本の重要文化財に指定されており、 兵庫県尼崎市にある本興寺所蔵。 天下五剣の一つに数えられている名物の一つである。 平安末期から鎌倉前期に青江恒次によって作られたと伝わる刀である。 青江派は平安時代末期から南北朝時代にかけて備中国で活躍した刀工集団であり、 恒次は御番鍛冶の一人として青江派を代表する刀工であり、 青江派の時代区分のうち古青江(こあおえ)に分類されている 元は日蓮が所持していた守り刀であり、 日蓮が甲州身延山へ入山した際に、護身用として信者から贈られたものであった[2]。 刀身の美しさに魅せられた日蓮は、柄に数珠を巻いて破邪顕正(はじゃけんしょう、 邪なものを打ち破って正しい考えを示すこと)の太刀として、 佩刀としていたところから「数珠丸」という名前が付いたとされる。 日蓮の没後、数珠丸は身延山久遠寺に持ち込まれ、 日蓮の遺品のうち袈裟と中啓(ちゅうけい、扇の一種)と 数珠丸を合わせて三遺品と称された遺品たちと寺で厳重に保管されていた。 享保名物帳・詳註刀剣名物帳にも紛失の経緯は記されておらず不明だが、 享保年間に久遠寺から行方不明となった。1919年(大正8年)ごろ、 兵庫県尼崎市在住の刀剣愛好家である杉原祥造が、華族の競売にかけられた物件の中から数珠丸を再発見したとされる。 久遠寺に返納しようとしたが本物か疑わしいと返納を拒否されたため、 杉原邸の近所にある本興寺に寄進された。 現在、数珠丸とされている刀剣は重要文化財に指定されている。
Categories その他